平安京「西寺」の中心建物の基壇発見 東寺と西寺、左右対称配置の可能性高まる

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西寺跡の地図© 京都新聞社 西寺跡の地図

 平安京の玄関口に建てられた官寺「西寺」跡(京都市南区)で、中心建物の講堂跡の基壇が見つかったと、市文化財保護課が24日発表した。基壇は造営した平安時代前期の姿をとどめ、同じ時期に築かれた初期平安宮の建物や寺院の解明につながる重要な遺構という。五重塔とみられる建物の跡も初めて見つかり、東寺と西寺の主要伽藍(がらん)が朱雀大路を軸に、左右対称の位置に配置されていた可能性がより高まった。

 基壇は高さ1・5メートルで、沈泥のシルトと砂礫(されき)を交互に積み上げた「版築(はんちく)」で造成していた。上面は削られておらず、礎石を抜いた穴(直径1・5メートル前後)四つのほか、礎石周りの石材「唐居敷(からいじき)」や柱の間をつなぐ石材「地覆座(じふくざ)」も残っていた。地覆座には木が焼けた跡があり、「西寺焼亡」(990年)に関連するとみられる。

 ほかにも、焼亡後の平安期に建物再建のために据えたとみられる礎石(同1・2メートル)が一つ、主要建物とつなぐ軒廊(こんろう)跡の盛り土も見つかった。

 市はこれらを基に講堂の復元案を検討した。平安期の遺構を受け継ぐ東寺に対し、建物は1キロ西で真横に並ぶ一方、柱間は0・6メートル上回る4・5メートル、東西幅は反対に3・9メートル狭い38・5メートルとなり、規模に差異があるのも分かった。

 近畿大の網伸也教授(日本考古学)は「柱間は平安宮の豊楽殿と同じ幅で平安京域の建造物では最大級となり、格の高い建物があったことを裏付ける。東寺の講堂は空海に与えられた後に完成し、密教の世界観を表すために21体もの仏像を並べた結果、建物が西寺より大きくなった可能性がある。初期平安宮を含めた平安初期の遺構は長年の都市開発で破壊されていることが多い。桓武・嵯峨天皇の時代に築かれた今回の基壇は都を造営した当初の寺院を含めた建物の構造や部材・工法を検証、復元してゆく上で重要な発見となる」とみる。

 また、講堂跡から南西約150メートルの調査地では、塔などの重い建物を築く際に地盤改良する「地業(じぎょう)」の跡を12カ所確認した。

 西寺の範囲を確認するため、市が講堂跡に当たる現唐橋西寺公園内などの325平方メートルを9月から調べている。現地説明会を26日午前10時~正午に開く。小雨決行。現場事務所080(1402)4443。

 

西寺講堂跡で見つかった基壇。平安初期の造営時の姿をとどめ、建物焼失後に据えた礎石も残る(24日午後2時、京都市南区)© 京都新聞社 西寺講堂跡で見つかった基壇。平安初期の造営時の姿をとどめ、建物焼失後に据えた礎石も残る(24日午後2時、京都市南区)